セロトニン、オキシトシン、ドーパミン

波乗りできてれば幸せ 人生論
波乗りできてれば幸せ

今日の学長動画、うつ経験者としては久々にヒットしました。

幸せを感じる時に分泌される成分は、

ドーパミン(お金や成功。ハイになってる)

セロトニン(心と体が健康な時に感じる)

オキシトシン(繋がりや愛から感じる。愛情ホルモン)

の3種類。

私は独身時代の30代半ばまでは、かなりドーパミン・オキシトシンに偏った幸福に頼っていたように思います。結果破綻しましたが。その頃は渋谷の会社勤務で、インターナショナルな友達と毎週末は街中でワイワイガヤガヤやって、盆と暮れにはどこか外国へサーフトリップ。でも仕事は、今思えば向いていないデスクワークで、時間的束縛も多く、セロトニンを擦り減らして平日を送り、週末にオキシトシンとドーパミンで無理やり相殺するみたいな感じだったのかな。その後、楽しかったインターナショナル友達らは結婚し各自別の国へと旅立ち、また都内暮らしもやめてちょいと郊外に今の住まいを購入したり、生活環境が目まぐるしく変わった頃、休日出勤が続いた2ヶ月目くらいに突如精神破綻し、まさかのうつ病を発症しました。セロトニンの減少分を補うオキシトシンが不足したということなのかな。

うつ病に処方される薬はまさにこのセロトニンを補充するものなんですよね。その名もセルトラリン。イボコロリ的なw。うつ病になってから1年半くらいは、傷病手当金で細々とサーフィンしたり・観葉植物に夢中になりながら徐々に回復していった感じだったかな。僕にはサーフィンがあってホントによかった。あと、植物には癒しの効果があるそうで、そんなセラピーもあるとか。その延長で現職へつながる庭師の手伝いもやるようになった。

その後、ご縁があって現職へとたどり着き、平日にサーフィンできるし、時間的束縛もないバンザーイな状態になり、またもドーパミン生活へ。ホントにこれは中毒になるんですな。全く異業種営業職への大転職となったが、それまでの経験やそもそもの適正があったのか、実に楽しく、仕事って楽しいな〜と初めて感じた頃だったような。

しかし、同時期に親父のガンが判明し、孫見せてやらにゃと慌てて婚活し、めでたく結婚と相成ったが、孫が産まれるちょっと前に親父は旅立ってしまいました。親父がいなくなって、娘が産まれた。こういう生活環境の大きな変化ってメンタルに結構ストレスを与えますよ。悲しさと嬉しさは相殺せず同時に存在する。営業職としては順調に数字を上げていったが、この職業には現場管理というもう1つの重要な仕事があり、こちらの方が難しい。売るだけ売ってもお客さんと詰めが甘く、最終的にあちこちの現場が同時炎上し、生活環境の変化と相まって二度目のうつ病期へ・・・。自分の案件を社長や同僚に引き継がせてもらって、再び1年半ほど休職してしまいました。うつは一度なった人は二度なると聞いてたけど、正にその通り。生活環境の変化はある意味不可抗力だったけど、複数現場の同時炎上も手に負えなくてキツかった。

この2度目の休職期間は、娘(0歳〜1歳期)との時間やサーフィンなどだったかな。仕事のことは一切考えないようにして過ごしていました。休職1年後あたりで復活できるかと何度か出社してみたけど、HPがほとんど無い感じで、あー全然ムリだーと。。結局1年半くらい休みました。今思えば傷病手当金がなかったらやばかった。

復職後は、どうすればストレスを少なく仕事を続けられるか、自分の心と向き合いながら、慎重に働くことになりました。まずは植栽花壇のみなどの小さな案件などから着手し、担当案件の設計を全て自分でやることで、工事中に不意なエラーが起きづらくなり、予測不可な問題が起きづらくなってきて、安定した状態で仕事ができるようになってきた。その2年後くらいの昨年くらいからは、自立型もすっかり板につき、粗利を安定して獲得できるようになり、結果収入もそこそこ安定&アップできるようになってきました。

こうやって文章にしてみると、結構山あり谷ありだったんだな〜。

これに寄り添ってくれた妻には感謝しなければなりません。

今年になって両学長の影響で資産形成を考えるようになりましたが、再びドーパミン中毒の餌食にならないよう、適度な距離を取りながら、マイセロトニン&オキシトシン分泌ライフを目指していこう思います。おしまい。

 

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